義父死去
8月18日に義父は、脳出血で倒れ、救急搬送。
一般病棟に移ってからも、管で栄養を与えられ、自ら栄養を摂取することは不可能であった。
医師からは、脳の出血が止まらない場合、開頭手術をする可能性。そして、救命できたとしても、重度の障害が残る可能性もあること。
また、医師はそれを勧めないこと。
数日経つと、出血は落ち着いたが、自発的に栄養を摂れない。完全意識霜害であり
、寝たきりであった。
義母は毎日、義父の様子を見に病院へ通った。
戻ると、今日は落ち着いていたよ・・・と言う。
傍目から聞くと、快方に向かっていると思いがちだが、ただ息を荒くせず、寝ているだけのことを言っているのだ。
僕も毎週日曜日に、妻と子供を連れ、見舞ったが
相変わらず、だれが来て何を話しているのかわからない様子だ。
9月に入り、脳の出血より肺炎の症状が頻繁に見えるとのこと。
そして、9月6日医師から呼ばれ、家族は病院へ。
説明によると、肺炎が進んでおり、水も溜まっているという。
こういったケースの場合、誤嚥性肺炎で急変することが多いらしい。
医師からは、肺炎の悪化の際の救命について、問われた。
急変時、のどを開口し、高度医療を施せば救命できるが、間違いなく重介護。受け入れる施設もないであろうと・・・
急変時の処置について、母は「もうこのままで・・・・」
きれいごとでは済まされない介護の問題。お金の問題。
総合的に考えれば、最もな答えである。
9月8日午前中、義母から電話があり、急変とのこと。
子供を学迎えにいき、病院へ・・・
病院には、義父の弟や甥や姪も。
義母も到着していたが
すでに、義父は帰らぬ人となっていた。
親族全員集まってから、死亡宣言をするらしい。
そして9月8日午前10時45分。死亡宣言が言い渡された。
入院から20日間。
人間の生命、病気、介護、お金、義理・・・
様々な風景が、この短い期間に流れました。
死亡確認後、病院で遺体をきれいしてもらい、さあ家に連れて帰る。
専門の看護師さんから
「では、、ええと。。。喪主さんは?」
僕
「??喪主???あー葬式の?」
義母と、義父の弟が、僕を指さす・・・・・
「はあ?俺???!!」
甘かった、葬式のことを考えていなかった。
喪主なんて、配偶者がやるもんだと思っていた。。。
悲しむ時間もつかの間・・・
次なる試練が待ち構えていたのである。
この日、日経平均株価は下がっておりました。
株価チェックもできていない!!